なぜ?コピーライティングを極めようと思ったのか?
単純な話なので声を大にして言うまでもないのですが・・・
30歳のとき。
マンガ喫茶で「ネットビジネス」というワードを初めて知りました。
それまで、
「当たり前」のルールで生きるという知識しかありませんでした。
恥ずかしながら・・・。
むしろ、私の知っていることは学校で習ったことだけ。
あとは、社畜たちに教わった当たり前のルール。
例えば、給料で言えばリーダーになればどれくらいもらえる?出世すれば、その会社ではこうなるとか、あの人の性格はきついから気を付けてとか・・・
つまり、世間様が感じる感情に「当たり前」に反応し、それに従って生きていたのです。
いや、
そうして生きることがすべてだと思っていました。
それが人生なんだ!と思っていました。
36歳くらいのとき。
コピーライティングというワードに出会った。
なんとなく、何かが弾けたことを覚えています。
何が弾けたかというと、
私の知っていた知識は
「檻」であったということ。
小さな小さな「檻」。
学校という「檻」で学び、躾され
会社という「檻」で飼いならされて、
会社のルールがすべてで
その道を外すことはあり得なくて・・・
それが、当たり前で、それが常識。
人間はこうあるべき!と。
・・・所謂、
無知ということですね。
そこで、コピーライティングというワードを皮切りに、深く、深く掘り下げ「派生」していくと、「どんどん」気付いていったのです。
サラリーマンとして、毎日、毎日、働く。
それは、会社に対してスキルを高めているだけである。
また、会社に対して信頼を貯金しているだけである。
だから少しずつ「会社のルールに乗っ取って」昇給していく。
仮に、その会社で定年まで働くとして
定年が人生の最後だとするならば
私の最高月収はだぶん50万円を
超えることはないだろう・・・
・・・と考えた時に、
毎日、毎日、会社へ行くことが・・・
50万円に向けてのレールであることにフワフワした感情でしたが知ってしまったのです。
月~金は会社で働いて、土日は疲れを癒し、
家族で旅行なんかする。
それもすべて含め、
月収50万円という「会社の決めたルール」に沿って生きることがすべてなのか?
・・・という疑問至るのです。
努力であり、人生であり、それが当たり前であるかのように時間を会社に対して提供している、
- それが本当に人生というものなのか?
- 誰もが知っている世界で生きていくことがすべてなのか?
- 踏み外した人間は死を迎える時に後悔をしてしまうのか?
そんなことを「漠然」と考えるようになったのです。
もちろん、
会社で何かしらのプロジェクトに参加し
大きな結果を出す可能性もあるかもしれない。
でも、それも最高月収50万円のためであり
それ以上の壁を、その会社で得られることはない。
また、越えられたとしてもその判断は会社が決めるのである。
- すべては会社。
- すべては上司。
- すべては会社のため。
この事実に「何となく」気付いてしまった私は、考え方をある意味「逆」に変えイメージしてみたのです。
毎日、毎日、会社へ出勤する。
この行動をコピーライティングへ置き換えてみる。
毎日、毎日、コピーライティングの勉強。
インプット・アウトプットの繰り返し。
月~金までコピーライティングの勉強。
インプット・アウトプットの繰り返し。
同じ、月~金ではあるが、明確に違うところは「最高月収」への可能性だ。
つまり、会社に対してスキルを高めるのではなくコピーライティングのスキルを高めることに使うことで「最高月収」への壁は超えられるのではないか?
つまり、会社に出勤・働くことが努力であるならばその努力する矛先をコピーライティングに移行するだけで可能性に満ち溢れていると「気付いてしまった」のです。
そのことに気付いてしまった私の手は
キーボードから離れませんでした。
毎日がドキドキ・ワクワクでした。
どんなに苦労しようが、
どんなに無謀なチャレンジだと思っても
例え、挫けそうになったとしても
努力する矛先を変えるだけで
可能性に満ち溢れている・・・
そんなことに気付いてしまったのです。
例え、何年かかってもイイ。
60歳が定年だとするなら40年間もある。
その中の10年でもコピーライティングに費やすだけで、もしかしたら自分の望む収入を得られる可能性だってある。
これが、私のコピーライティングを極めようと思った始めのきっかけ。
もちろん、コピーライティング以外にもたくさん手を出しました。
でも、続かなかったんです。
心の中から愛せなかった・・・
いや、愛しても末路がイメージ出来たのです。
例えば、何かしらのツールを購入。
試してはみるのですが、
稼げるには稼げる。
しかし、作業をやっているときに
こんなことを感じてしまうのです。
この作業をやっている時間。
将来的にスキルとして支柱に収め収入の壁を超えることが出来るようになるのか?
つまり、テクニックの部分をどれだけ学んでも、守破離のように基礎がしっかりと出来上がってなければ、どこかで必ず挫折し、どこかで必ず悩み苦しむ。
そんなことが手に取るように分かるようになったのです。
では・・・
なぜ?
コピーライティング「だけ」は受け入れることが出来、極めようと思い、末路が「良い方向」に行くと確信したのか?
簡単に言えば、
人間の「素」の部分を知ったから。どの人間にも備わっている「事実」を知ったから。
例えば・・・
私は「今」ココで記事を書いているじゃないですか?
なぜ?書いているかと言えば・・・
単純に「書きたいから書いている」だけなんです。
そこで、この書いている「素」の感情というものがあるわけですが、今現在は、書きたいと思っているだけの話で明日は書きたいのか?どんな感情なのか?明日にならなければ分からないのが人間なんです。
やる気がある!ない!というワードで片づければ簡単な話ですが、自分自身が今現在、やる気があるか?どうかなんてあなたにとって分からなくてもイイわけで、分かることって不可能じゃないですか?
もちろん、私が、あなたの今の感情も分からないし、分かることも一生ない。
であるならば、
知ろうとしないで、知ったところで・・・という話になるんですよね。
であるならば、
自分のスイッチみたいなものに「素直」に従い、反抗もしない「素」が結局すべてなんだと分かったんですよね。
意味分かりますか?
「素」ってラクじゃないですか?
ストレス貯まらないでしょ?
あなたにも「素」ってありますよね?
この記事を「今」読んでいる「素」の感情?
どんな感じですか?
流し読みしてますか?
真剣に読んでますか?
頷きながら読んでいますか?
あなた自身も好きでストレスを貯めようとは考えていないわけで、出来ることなら「ノンストレス」で人生歩みたいと思うじゃないですか?
そう考えると、
「素」がラクであり、最高のパフォーマンスが出せる。
その最高のパフォーマンスが出せる時に必要なのがコピーライティングというわけなんです。
仮に、最高のパフォーマンスが出せそうな時に、コピーライティングを知らなければ、「素」の部分を活字で表現できないわけで「言いたいことも言えない」反町の歌みたいになるんですよ。
そんなの嫌でしょ?
そんなの生きていて辛いじゃないですか?
なんで書けないんだ・・・
・・・と悩んでしまうわけです。
言いたいことが言える!
言いたいことが書ける!
・・・ということが
どれだけ素晴らしいことで・・・
別にコピーライティングでなくても話せればYouTubeでもイイと思うし・・・私は、書くことを選択しただけでそこに強い信念なんてこれっぽちもないんです。
ただ、YouTubeだと、YouTubeというプラットフォームを利用しなければならないので、そこには「ルール」が存在する。そのルールに反することをやればYouTubeから削除されるという、「素」ではコントロール出来ない壁が付きまとう・・・
それもメンドクサイし、YouTube側から自分の人生を左右されることってやっぱりストレスを感じてしまうんです。
- こんなことやっても良いのか?
- ここまではギリギリライン?
- 広告付くかな?
- 削除されないかな?
こんなことを考えさせられる時点で「他から時間を搾取」されている感じがして、人生を「勝手に」吸い取られている感じがして・・・
結局、何が一番の勝ち組かって言えば、言いたいことが言える、そんな場所を見つけた人が勝ち組でそれで飯が食えて、「素」の部分でやりたいことがやれる状態を作った人が、どう考えても勝ち組なんです。
絶対に我慢が必要なんて嘘だし、多少のストレスなら感じる方が人生的にイイとか・・・
そんなのはウソ。
もちろん、若いころなら必要と思いますが、ある程度、年齢を重ねれば、それが仇となり病を患う可能性も大いにあるし。
まぁ、書きたいことを書きましたが、
最後に言いたいことは・・・
まず、世の中という「檻」で物事を捉え、どうすれば一度きりの人生を全うし「ノンストレス」で生きていけるのか?を知る必要が人間には知識として必要です。
こんなことをダラダラと書いていますが、
私自身は3000万円以上自己投資して、ここまでの知識にたどり着いているんですからね。
例え、あなたがここに書かれていることを否定的に捉えても構いませんが、結局、人間には、その日その日でコンディションがあるのは事実で、やる気のない日にムチ打ってやるというのがどれだけストレスがかかるかと考えれば大事にしなければならないのが「素」であることは間違いのない事実なんです。
それ以外ない。
なにも難しく考える必要性はなく、自分の考えていることがすべてでここに書かれていることに不満を抱くのであれば、自己投資が足りないとしか私には言いようがない。
自己投資をし続ければ私の言いたいことは理解できると思うし、別に3000万円以上使う必要もないし、私みたいに深く、深く追求する必要もないし・・・
要は、
今に疑問を持つことが必要で、「今」が当たり前ではないこと知ってほしいのです。
私自身は「コピーライティング」というワードで心震わせ「これしかない!」と思い、10年以上かけてここまでたどり着きましたが「自分の居場所」を見つけない限りは一生涯苦労します。
徹底的に「知らない世界」がある・・・
ってことを追求してみてください。
調べまくってください。
私自身はコピーライティングというワードで派生して、確実な知識を手に入れました。
これが極めようと思った「最初」のきっかけ。
では、ありがとうございました。