は、暇していた。

なんとなく、
今は、本を読む気がしない。

そこで、

なんとなく・・・
スマホを手に持ち、

なんとなく・・・
Amazonプライムのアイコンをクリック。

そしたら、

おススメに「HIBIKI-響-」という作品が出てきた。

なんとなく・・・
クリック。

すると、

レビューの数が約700と多い中、
星4.5以上を叩き出している上、
平手友梨奈が主演であることを知る。

なんとなく、

耳にはしていた平手友梨奈への評価。

私は、今この時が暇である事実は変わらないので視聴することにした。

そして・・・
見終わり・・・

世間様と同じ評価であることを確認。

面白かった・・・

 

そして、

映画が面白かった故、平手友梨奈への評価が私の中で上がってしまい興奮状態になっている自分を「意識的」に確認できている。

次の私自身の行動を「興奮状態」のまま強く「意識」して分析してみた。

 

スマホでAmazonプライムの検索を開き窓に「平手友梨奈」と入力。

すると、平手友梨奈が出演している映画「さんかく窓の外側は夜」という作品が検索に引っかかった。

そこで、評価を確認。
星3.5である。

また、平手友梨奈は主演ではなく3番手くらいの脇役。

ここで、私の興奮状態は一気に冷めた。

「HIBIKI-響-」より面白くないと世間はそう評価しているからだ。

ならば、

私も世間に奴隷のように従うことにする。

ここで、私の言いたいことは、

仮に、「HIBIKI-響-」という「高評価」の作品が私のメルマガであれば、読者は次の作品も読みたいと思うだろう。

いや・・・

必ず薬のように次を求める。

もし、そこで次の作品が用意されていなければ、興奮状態は日を追うごとに徐々に冷め、私以外の別の人の作品を求め読者は旅立って行くだろう。

仮に、そこで「HIBIKI-響-」のような「高評価」の作品が他で出会えたのであれば、その読者は私の元へ戻ってくる可能性はないと判断できる。

しかし、私の熱狂的ファンであれば別の話である。

伏線。

私自身、平手友梨奈の名は知っていた。

しかし、演技について何の感情もなかった。

なぜなら、ドラゴン桜2を見ていたから。

ただ、今回の件。

私は、平手友梨奈主演の映画を見てしまった。

いや・・・

平手友梨奈という存在をドラゴン桜で知り、世間様が平手友梨奈へ高評価をつけていたから私自身の心のどこかで気にはなっていたのかもしれない。

だから、自然と導かれたのかもしれない。

これ・・・
そうなんです。

私の無意識の中で勝手に伏線という点が存在していて、勝手に線を引かれる現象。

そして、意識しなければこの線に気が付くことが出来ず、日々のうのうと生きていくことになり、またどこかで点をつけ、どこかで線が引かれる。

その繰り返しで人生を生きていかなければならないという残酷さ。

それって・・・
なんとなく・・・

悲しくて・・・
悔しくて・・・

そう思わないかい?

だって、この人間の中にある無意識の世界を知らなければ「一生涯」意識へ取り出すことが出来ないんだから。

コントロール出来ない人生より、支柱に収め自由自在にコントロールできる方が楽しいでしょ?

いや、稼げるでしょ?

 

逆に苦しさもあるけどね・・・
幻想で生きる方が実は楽なのではと・・・

では、ありがとうございました。