この記事にたどり着いたということは、仕事を辞めようか?という選択肢が頭の中にあるからだと思う。
私から言えることは、「じゃ、辞めなよ。」ってこと。
でも、あなたから物事を考えると私は軽く言っているように感じるだろう。
そう簡単には辞められないんだよ・・・と。
- 生活のこともあるし、
- 家族のこともあるし、
- 借金のこともあるし、
- 住宅ローンのこともあるし
- 近所の目もあるし
- 子どものこともあるし
- 同僚やお世話になった上司の方々。
・・・と。
いろいろと考えてしまうのは当然だと思うわけだが、私からしたら「そんな小さなことで悩んでいるの?」と思ってしまう。
申し訳ないが。
何に怯え、何に縛られているのか?さえたまに分からなくなってしまう私だが、それでも大切なのはあなた自身の「今」考えていることで、結局、辞められるか?辞められないか?なんてあなたの行動1つで決まるわけである。
じゃ、どうしたら真剣に、自分を奮い立たせ全力で行動に移せるのか?
それは、社員と肩書を捨てること。
社員に拘っている以上、自分の思うような人生を歩むのは難しいと思う。
だから、私は、ある時を境に「社員という肩書」を捨てたのである。
捨てて分かったことは、とりあえず働いて仕事さえすればお金は頂けるので、パートでもアルバイトでも「働いている」という視点から物事を考ええばなんら変わらない。
そこに、今まで積み上げてきた会社に対する「信頼」という貯金を引きづることで「もったいない」とか考えているうちは前に進むことは難しいだろう。
人間と言うのは、欲張りな生き物だからね・・・
まぁ、この記事の結論としては、今の仕事が嫌いなら今すぐ辞めろ!ってことで、好きならとことんまで出世することを考えるべき。
そこに「迷う」という二文字は存在しない。
迷ったところで何の意味も持たないし、迷うこと自体が時間の無駄だと思う。
人生1度きりなんだし、1番最悪なことは「死」であることは間違いない事実なんだから。
最後に。
ちょっと、尖り過ぎた記事になっているかもしれないが、私の本音を書かせていただきました。
私自身、「迷う」ということ自体に何の価値も見出せない人間で「0か100」にすべて答えがあると思っています。
そこに「絶対」という概念は存在しないが、物事を決断するときにはほぼ「0か100」で考えれるようになると意外と生きやすい人生を送れる・・・という私の経験談。
優柔不断という言葉が存在するが、私も若いころは優柔不断で相手のことを考えた上で相談やアドバイスをしてきた記憶があります。
でも、この記事にも書かれていますが、ある時を境に優柔不断では相手に対して「迷い」を与えてしまうことに気が付きました。
もし、こうなったらこうして・・・
もし、こっちになったらこうでもイイんじゃない?
このようなアドバイスは相手が迷うと思う。やさしさは感じられるが結局、通じる人には通じるが仕事が出来る人にとってはただの「メンドクサイ人間」と捉えられてしまうのがオチだろう。